怖い話

自身の体験+αの怖い話を載せていきます

心霊スポットの呪い

「生半可な覚悟で心霊スポットには行くな」

その時、心からそう思い、そして学んだことだ。

それは私が大学生の頃。
高校時代から、心霊スポット巡りをしてきた。
言っても高校生、あまり遠出はできないが、ネットに載っている、地元に近い心霊スポットはほとんどを制覇していた。

はっきり言って、9割方は何も起きない。
精々、写真を撮った際に、チラっとオーブが写る程度。

大学生になっても、高校時代からの連れふたりとスポットを回ったが、特に何も起こることはなかった。

そんな私たちも、とある心霊スポットは避けていた。
地域限定ではあるが、ほとんどの心霊スポット掲載サイトの、上位にランクインする、とある“廃トンネル”。

行くとマジでヤバイことが起こるとの噂で、多分、私たちもビビっていたんだと思うが、今まで何も起きず、気が大きくなっていたというか、ナメていたんだと思う。

遂に乗り込むか!と意見が一致し、曰くの心霊スポットに行くこととなった。

決行当日、昼過ぎに連れと待ち合わせをするため、家を出ようとしたところ、母に声を掛けられた。

ここで至極簡潔に説明すると、私の母は、いわゆる“見える”人だ。

「どこに行くかは知らないけど、1つだけ約束を守りなさい。赤ちゃんを連れて行きなさい。できる限り生まれたばかりの赤ちゃんをね」

最初は「?」だったが、ひとりの連れの姉が、つい最近赤ちゃんを産んでいたことを思い出した。

…今思えば、母は既に何かを分かっていたのかもしれない。

連れと合流し、その連れの姉に今回の計画を話してみると、ノリノリで「付いて行く!」と言ってくれ、更に私の母から言われたことを伝えると、二つ返事で赤ちゃんも連れて言ってくれることになった。

連れの姉も大の心霊スポット好きであることは知っており、話はスムーズに進んだ。

色々と準備を済ませ、日も落ちかかった夕方に出発となった。
連れふたりに連れの姉、赤ちゃん、そして私の計5名だ。

付いて来た姉を持つ連れがハンドルを握り、例のトンネルへと向かった。
トンネルはとある山の山頂付近にあり、連れの家から1時間程度で着く距離。

山に入った時には、既に辺りは暗くなっていた。
次のカーブを曲がったら見えるか?といった場所に差し掛かった時、突然、赤ちゃんが泣き出した。

誰に抱かれても泣かない大人しい赤ちゃんだったが、この時は有り得ないほどに泣き喚いている状態に、私たちも焦った。

赤ちゃんや子どもは霊に敏感である、とよく言われるが、正にそれが現実になった瞬間だった。

どうあやしても赤ちゃんは泣き止まず、さすがに「ヤバイ」と感じた私たちは、車をUターンさせ、帰ることに決めた。
車を発進させ、一つ目のカーブを曲がった瞬間、赤ちゃんは何事もなかったかのようにピタっと泣き止んだ。
私たちは顔を見合わせ、言葉を発することもせず、そのまま連れの家へと帰り着いた。

そこで止めておけばよかったのだが、私と連れふたりは、この本当にヤバイ心霊スポットに魅了されていた。
翌日、今度は昼間に同じ心霊スポットに向かったのである。
「昼間なら大丈夫だろう」という浅はかな考えだ。

特に何事もなく例のトンネルに到着した。
到着したのは13:40を少し過ぎた頃。何故か到着時間を鮮明に覚えていた。

そのトンネルは、入口に太いパイプが網目のように組まれて封鎖されており、更にその入口を囲うように背の高いフェンスが立てられていた。
確かに廃トンネルにしては状態が異常な感じはしたが、昼間ということもあってか、恐怖心はなく、何か起こることもなかった。

しばらく散策し、拍子抜けしたまま私たちは帰ることにした。

廃トンネルを散策した丁度1週間後。

私は信号待ちで停車している後方から、ノーブレーキの軽自動車が激突。
重度のむちうちにより全治3週間。

連れのひとりはバイクで走行中、見通しの良い直線道路にて転倒。
首を骨折し、全治1ヶ月。

連れのもうひとりは仕事(とび職)中、2階部分から転落。
首と腰を骨折し、全治3ヶ月。

明確な時間を見ていたわけではないが、これらの事象が発生したのは、全員同日、ほぼ同じ13:30~14:00の間であった。
幸い、全員大事に至ることはなく、現在は問題なく生活している。

例の廃トンネルがある山頂は、昔、斬首場であったそうだ。
また、そのトンネルを建設する際、多くの作業員が崩落により死亡し、一部のご遺体はそのまま埋まったままであるとの噂もある。

私自身、決して霊や呪いのせいにしたくはない。
しかし、全員が首を負傷し、発生した時間もほぼ同じ…偶然にしては余りにも話ができ過ぎている。


「生半可な覚悟で心霊スポットには行くな」

その時、心からそう重い、そして学んだことだ。